ある日、浜辺で貝掘りをしていた原始人がたまたま尖った巻き貝を見つけ、それを葦の棒きれに突き刺し、"回してはずした"。 これが人類と"ねじ"との最初のかかわりであったとされています |
人類は後に"ねじ(ネジ)"を自ら製作することで、それをさまざまな用途に役立ててきました。現在ではねじを使わない機械はないといわれるほど普及し、締結用ねじの分野でも単なる締結を超える付加価値を備えた"特殊ねじ"が続々と考案されています。
今後仮にねじに代わる新技術が出現したとしても、ねじの使用箇所は永久に無くなることはないでしょう。逆に今日では、地球環境を考えたリサイクルの概念が定着しつつあり、従来リベットなどで締結していたものを、ねじに置き換えるなど"ねじ"に対する考え方が見直されてきています。
ねじの歴史を学ぶことは、その生い立ちを知る興味、歴史的発展の延長としてのねじの将来像を探ること、及び先人の知恵を現代に生かす"温故知新"の糧として役立ちます。
揚水ポンプ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ねじの形態をした最初のものは、アルキメデスの揚水ポンプであるといわれています。木製の心棒の回りに木板を螺旋状に付けた物が傾斜した円筒の中にあり、円筒の下が水に漬かっています。心棒の上のハンドルを回すと、水を下から上に揚げることができます。 はじめは灌漑や、船底にたまった水の汲み上げなどに使用されました。16〜17世紀に中国に伝えられ"竜尾車"と名付けられ、17世紀半ばに日本にも伝わり佐渡金山の排水用に使用され"竜桶(たつとい)"とも呼ばれました。 |
ねじプレス 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
大きな力を発生するため使用されたねじプレスは、紀元前100年にオリーブの実をつぶすために作製されました。葡萄酒作りにも使用され古代に使用された木製のねじが地中海の周辺で多数発見されています。 このねじプレスが、グーテンベルクの印刷機(1450年頃)に利用され、活字文明の先駆けとなりました。新聞のことを "The Press" というのはその名残りです。 |
締結用ねじ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
レオナルド・ダ・ヴィンチが残したスケッチに、タップ・ダイスによるねじ加工の原理があります。このことから、金属製ボルト、ナット、小ねじ、木ねじ類は1500年前後に出現されたと、予想されています。 これらは馬車、荷車、フランスのルイ14世のベッド、鎧などに使用されました。 1549年来日したフランシスコ・ザビエルが、1551年に大内義隆に贈った機械時計に使用されているねじが、我が国に伝わった最初の締結ねじであるとされています。日本人が最初に見たねじは、1543年種子島に伝わった火縄銃の銃底をふさぐための"尾栓"及び、それがねじ込まれる銃底のめねじであるとされています。 |
日本への伝来 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本へのねじの伝来は、1543年に種子島に漂着したポルトガル人の船長から、藩主種子島氏が鉄砲二挺を二千両で購入したことから始まります。 藩主から一挺の鉄砲を与えられその模造を命じられた刀鍛冶の名人、八坂金兵衛がどうしても造れなかった部品が一つありました。銃底を塞ぐための尾栓ねじのおねじ(ボルト)はなんとか造りましたが、困難だったのはおねじがねじ込まれる銃底の筒の中のめねじでした。 とりわけ金属加工の工具としては、「やすり」と「たがね」しかなかった当時、金兵衛は試行錯誤の結果、苦心の末尾栓のおねじを雄型として、火造り(熱間鍛造法)で銃底にめねじを製作したのが、日本のねじ製造の起源として伝えられています。 その後鉄砲は泉州堺、紀州根来、滋賀国友村などで尾栓ねじの製造が改良、開発され日本全国に普及いたしました。 ねじは兵器製造と共に発達したものと言えます。 |